イタリアに帰還した志貴を待っていたのは更に緊迫感に満ちた一堂だった。
「志貴帰って来たの?」
「はい、士郎を冬木に送り届けてきました。それよりもどうしたんです?もしかして『六王権』軍がアメリカを」
「ええ、今教会から連絡があってね。『六王権』軍がまた空襲をやらかしていたそうよ」
「それでか。随分と向こうもぴりぴりしていると思ったら、で場所は?」
「確認出来ただけでも既に五ヶ所に死者の投下を確認していると言う事です」
「場所は?」
「これから説明する所です。地図を見て下さい」
そう言ってシオンは地図の前に全員を連れて行く。
十三『ロンギヌス』
「まずはアラスカ州アンカレジ、此処の空港近くに投下されました。」
「はあ?アラスカってなんかすごく離れていない?」
アルクェイドの言葉に志貴は頭を振る。
「いやそうでもないぞ。むしろ直線距離で言うなら近いかもな」
「どうしてよ、志貴君、アラスカってむしろ太平洋側じゃない?」
アルトルージュの質問に志貴に変わりシオンと琥珀が答える。
「確かに大西洋中心で見れば欧州とアラスカなんて遠いです」
「だけど、別の海を中心にして見ると距離は違ってくるの」
「違う海??」
「北極海さ」
そう言うと地図帳から北極海中心にしたページを出す。
北欧スカンディナヴィア半島の最北端から問題のアンカレジの距離を測ってみれば北極を一直線に抜けたと推測すればその距離は推定五千キロ。
大西洋中心で見た場合に比べてはるかに短くなっている。
「見る場所を変えるだけで距離って変わるんだ・・・」
「まあな。それとシオン後は何処に?」
「はい、後はノースカロライナ州ローリー、ヴァージニア州リッチモンド、ジョージア州アトランタ、ミシガン州ランジングです」
「ほとんどアメリカの州都だな。被害は?」
「何処も負傷者が数名出ただけで深刻な被害は出ていません。ですが」
「判っている人心だろ?何しろ連日行われているんだ。相当不安に陥っている筈だしな」
「そういえば志貴ちゃんアメリカに行っていたんだよね?どうだった?」
琥珀の質問に志貴は苦々しい表情で首を横に振る。
「治安が相当悪化している。今回の投下に関連してだろうけど、まだ昼間なのに至る所に警官や州兵が立っていて厳戒態勢だったよ」
志貴がアメリカにいたのは僅か数分だったが、その間に何人の警官や州兵を見たか判ったものではない。
とそこに
「まだ良いわよ。それくらいだったら」
そう言って青子が入ってきた。
「??先生それは・・・」
「私が見てきた西部や中南部はもっとひどいって事よ。私なんかいきなり尋問されるわ、連行されかけるわ、挙句の果てに襲われたんだから。それも白昼堂々」
青子の言葉にぎょっとする。
「それで・・・先生、相手は皆生きていますか?」
「失礼ね。全員無事よ。強盗共は腕一本折っただけですませてやったわよ」
「何よりです」
「なんかむかって来る言葉ね。向こうは私の顔見るなり拳銃突き出してきたのよ。正当防衛よ」
「まあ・・・冗談はここまでにして・・・治安だけで無く人心まで相当荒み出していますね・・・」
「そうでしょうね。何しろ特定人種を標的にした中傷まで飛び交っていますから」
エレイシアはそう言ってノートパソコンの画面を全員に見せる。
「な、なんですの??これ・・・」
「ひどい・・・言いがかりじゃない・・・」
秋葉とさつきが絶句するのも無理は無い。
志貴達が見たのはアメリカにおいて悪名名高い白人至上主義団体KKK(クー・クラックス・クラン)団のHP。
そこには英語で要点だけ述べれば、『今回の攻撃はありとあらゆる有色人種が引き起こした白色人種に対する不当なる攻撃である。全ての白色人種よ立ち上がれ。奴らを皆殺しにせよ』と、今回の『六王権』軍攻撃の責任を有色人種に擦り付ける内容だった。
「まあここは一番過激ですが、インターネットの掲示板には至る所で何の根拠の無い犯人探し・・・いえ、スケープゴート探しに躍起になっています。現に掲示板の内容を信じた一部がその相手に制裁と称して暴行を働く事件も起こり始めているんです」
すると志貴は更にパソコンを操作し始める。
「・・・それだけじゃないですよ。下手すると人種間・・・おまけに宗教間の争いにも発展するかもしれませんよ」
その画面はアラビア語で書かれたイスラム教原理主義者団体のHP。
そこには『米帝国主義者に天罰が下った。これもアラーに従わぬが故、全世界の民よ、邪教を捨てイスラムに帰依せよ』とやはり要点だけ読めばその様な事が書かれていると志貴は全員に語り、それからまた別のHPを開く。
今度はキリスト教右派のHP、だがそこにも先程と似たような事がイスラム教をキリスト教に言い換えて書かれていた。
「もしやと思ったけど・・・この混乱を利用して対立を煽っている・・・」
「人種とか宗教とかで人を区別してるの?馬鹿じゃないの?」
志貴の嘆息にアルトルージュが呆れる。
「人種とか宗教が違うだけで差別や挙句には殺人を犯す・・・あまり考えられない事ね」
秋葉の言葉に唯一、そちら側に認識があるシオンが意見を述べる。
「私は・・・なんとなく判ります。キリスト教、イスラム教それぞれ厳格な一神教です。多種多様な神が全て認められて、尚且つ共存している仏教とは根本から違うんです。ですから他の宗教を認めると言う事は敬虔な信者にはとても出来ない相談です。それをしてしまえば自分が信じてきた物が全て崩壊する危険すら孕んでいますから・・・ですが、だからと言って異なる宗教を信仰する人々を迫害、あまつさえ殺害する理由にはなりませんが」
「そうか、エジプトはイスラム圏だったな。宗教については判らない事も無いが・・・人種については本気で判らない。黒人だの白人だのと言っても結局は住んでいた気候に対応する為に肌の色を合わせて来ただけに過ぎない。おまけに産業革命がたまたま欧州で起こったから技術が進みそのおかげで栄華を極められたんだ。たかがそれだけの差で優劣なんか決められる訳無いだろうに・・・おっと・・・少し話が逸れたな。話を戻そう。どちらにしてもアメリカは国内の混乱を収めるのに精一杯だろうな」
「それだけではありません、暴動が更に巨大化し、混乱が長引けば国内が内乱に陥る可能性も捨て切れません。現にアメリカには南北戦争と言う前例もあります」
「白人と黒人・・・歴史的な軋轢が大きいし」
「されに・・・やっぱり人種の溝はかなり深いから」
黒人と白人然り、第二次世界大戦時でも見られるユダヤ人迫害然り、人種で人を区別し殺す事を人は容易く行う。
「こんな事している場合じゃないのに・・・『六王権』軍が全世界に侵攻したらどうなるのか判らないのかな?」
『六王権』に黒人も白人も関係ない。
どのような宗教だろうと問題ではない。
老若男女差別もしない。
人類であるか否かの問題でしかない。
人は地球の害にしかならない。
だから滅ぼす。
その思想の元『六王権』は動いているのだから。
そして翌日。
一日ぶりに届けられた報告は志貴達が想定したよりも酷く、事態は坂を転げ落ちる様に悪化していた。
昨日の『六王権』軍の死者投下でやはり片田舎に三ヶ所落とされこの三ヶ所だけで千人が犠牲となった。
国内の治安は更に悪化し、喧嘩から略奪、殺人、婦女暴行、更には大小問わず暴動も全国規模で頻発し、州によっては知事の名で戒厳令が敷かれた場所もある。
更には政府も事態に耐えかね、外国に駐留させている米軍を全て本国に戻す決定を下した。
「まずいとしか言い様が無いですね。暴動の中にはイスラム教徒の暴徒がキリスト教徒を襲っている場面も目撃されているという情報もあります」
「そうなると逆もありえますね姉さん」
「それに白人や黒人と言い換えても起こっている筈です」
不安が完全に的中しつつある。
既にアメリカ国内は人種間対立と宗教間対立が複雑に絡み合い、緊張が高まり、至る所で暴発している。
「軍はまだ大丈夫だと思うが・・・もしも軍までこれに飲み込まれればもう手が付けられない。完全に内乱に突入する」
その時、会議室に突然ダウンが現れた。
「ああシスターシエル、ここにいましたか!」
「どうしたんですか?ダウン?アメリカの情報ならもう」
「いえそちらではありません。たった今、国連経由で入った情報です。『六王権』軍がイベリア半島を完全に落とし、ジブラルタルを越えたと」
「な、なんですって!!」
思わぬ情報に全員が腰を浮かす。
「それは何時?」
「それが・・・一昨日の昼前にはジブラルタルを越えたと言う情報です」
「何でこんなにも遅れたんですか!丸二日じゃないですか!」
エレイシアの憤怒の声が響く。
出遅れた為に無言だったが他の面々も思いは同じだった。
戦いにおいて正確な情報をいかに早く届けるか、それが勝敗の鍵を握るといっても過言ではない。
「向こうもかなりごたついていた所為で、こちらに情報が届くのが遅れてしまったんです。おまけに『六王権』軍はこちらの通信機器などを破壊して回っていた為だという話です」
「だとしても・・・志貴君??どうしたんですか??」
エレイシアは不審そうに志貴を見やる。
当の志貴は顔面を蒼白させて地図を凝視している。
よく見ればシオン、琥珀も同じ顔色で身体を小刻みに震わせている。
「??姉さん?」
「シオン、どうしたのですか?」
「・・・やられた・・・また・・・」
志貴がポツリと呟く。
「やられた?それってどう言う・・・」
「そうだよ・・・冷静に考えてみれば・・・アメリカ侵攻なんかよりもこっちの方が確実だろ・・・」
アルクェイドの問い掛けにも答えずぶつぶつ独り言を呟き続ける。
「??し、志貴君・・・どうしたの?」
「・・・『六王権』にまたしてもしてやられたんですよ。私達は!!」
激昂したシオンが机に握り締めた拳を机に打ちつける。
「やられたって・・・それは・・・」
「おそらく・・・『六王権』はアメリカに侵攻する気は最初から無かったんだよ。本当の目的は・・・地中海だ」
「地中海??それってどういう事?まだジブラルタル海峡を押さえられただけだよ」
さつきの楽観論に志貴は重々しく頭を振る。
「まだじゃない・・・遂にだ。さつき・・・これは致命的な陥落なんだよ」
「皆さん、この地図を見てください」
そう言って琥珀が地中海を中心とした地図を広げる。
「見れば判りますが地中海はヨーロッパとアフリカ、中東地区を繋いでいる海です。そして地中海は海と言う名称こそ与えられていますが、実質世界一巨大な湖と呼んでも決して不思議ではないほど閉鎖されています・・・ジブラルタル海峡を除いて」
「でもスエズ運河があるんじゃない?」
「あれはあくまでも人間の手で作られた人工的な通り道だ。本来はスエズ地峡なんだよそこは」
志貴の声に改めて地図を見る。
確かにそこはスエズ地峡、アフリカ大陸と中東方面を結ぶ唯一の陸の道。
「つまりジブラルタルが敵の手に落ちたと言う事は・・・」
「もう既に『六王権』軍は地中海に突入しているはず。向こうは海軍まで揃えているんだ。それをしない方がおかしい」
「まずいですね。そうなるとイタリアは完全に包囲されます。半島の運命ですな」
ダウンの嘆きに琥珀が頷く。
「今まで、イタリアが辛うじて落ちなかったのも地中海が無事だったから、戦力を北だけに回す事が出来たから。でも」
「地中海が半ば押さえられてしまえばもう、イタリアは包囲されて、後は良い様に蹂躙されるだけ・・・姉さん、イタリアから撤退と一般人の避難を急がせないと。早くしないと手遅れに」
「ええ、直ぐにナルバレックに伝えましょう。それとダウン、貴方は念の為に地中海諸島及び、地中海周辺の情報を集めてください」
「判りました」
イタリア半島は遂に落日を迎えようとしていた。
ここで話を核攻撃阻止直後の『闇千年城』にまで話を遡る。
『六王権』が『影』を伴い軍議の間に入室すると既に『六師』を始めとする『六王権』軍最高幹部が『ダブルフェイス』経由で集結していた。
「待たせたな。ではこれより軍議を始める。始めに『光師』」
「はっ」
一番に名指しで呼ばれた『光師』は顔を緊張で固めながらも怖気る事無く、臣下としての顔で次の言葉を待つ。
「お前の提案は悪い物ではなかったが此度は裏目に出たな」
「はい」
「既にルヴァレには最終勅命を下した。お前にも何らかの処断を下さねばならぬ」
「はい、覚悟は出来ています」
他の『六師』も口を挟む事は無く、ただ主君の次の言葉を待つ。
「だが、全員聞いたと思うが、アメリカは核攻撃などと言う愚行を犯した。これを放置する事は出来ず、戦力をこれ以上減らすわけには行かぬ。よって、『光師』お前の処断は保留とする。今後戦功を立てて自身の汚名を雪げ」
「はいっ、陛下のご期待に必ず応えて見せます」
『光師』の返答に『六王権』と『影』は頷き、残りの『五師』は安堵の表情を浮かべる。
「それで陛下、今後どのように?」
『地師』の質問に頷く。
「ルヴァレと言う一部の無能もいたが、他は概ね『暗黒のイースター』作戦は成功といっても過言ではない。ジブラルタルを突破した時点で『暗黒のイースター』作戦は終了とし、新たなる作戦に向けた軍の大幅な再編を行う、まずは『水師』」
「はっ」
「お前の海上遊撃軍は先行して軍を三隊に分けよ。一隊は大西洋上に待機させ、その際血袋の用意もするように。次に第二隊は北極海上スヴァールバル諸島を落とせ。だが、なるべく死者は増やさず血袋の確保に努めよ。そして残り全軍はドーヴァーから南下させジブラルタル海峡を突破し地中海に侵入せよ。最終目的はイタリア半島陥落、そして黒海を落とし、全侵攻軍の補佐に当たれ」
「はっ?」
思わぬ命令に表情をきょとんとさせるが『六王権』は矢継ぎ早に命令を下す。
「それに連動して『闇師』、『光師』」
「はっ」
「はい」
「お前達の西侵軍の侵攻を早めイベリヤ半島を落としジブラルタルを越え、海上遊撃軍を補佐せよ」
「!!では陛下遂にアフリカ大陸を」
「そうだ。そして鳥の王」
「何か?」
「すまぬが貴殿の航空遊撃軍の力を全面的に借りたい。貴殿の眷属の中でも足の速い者を選抜は出来るか?」
「造作もない事」
「既に『影』には最下級の死者の選抜を行わせている。そいつらを貴殿らの力でアメリカに落としてほしい」
「なるほど、死者投下による奇襲作戦か。それで、何時から始める?」
「可能ならば今夜より」
「良かろう、直ぐに選び抜きそちらに送る。あと何処に落とす?規模は?」
「規模は最初は一体、次は二体その次は四体と言うように一日ごとに二倍にしていく。最終的には三十二体。後場所はアメリカ国内である事、そして可能な限り人がいる場所であれば眷属達の自由に落としてもらっても構わん」
「・・・良いのか?出鱈目に落としかねんぞ」
ブラックモアの懸念に『六王権』は冷笑で応ずる。
「かまわん、むしろそれこそが望みだ。何処に現れるか判らぬ死者にアメリカが混乱すれば上々。更にルヴァレの無能によるロンドン玉砕の間隙を突き、イベリア半島、地中海、イタリア、北アフリカを制圧する」
「・・・なるほど。あの男も最期は貴公の役に立つと言う事か」
「それ位は出来なければ生かした意味が無い」
「そうだな」
「陛下、ルヴァレがやられた後ロンドンはどうするんです?死徒による牽制を?」
「いや、わざわざ時間を与える義理は無い。無論再侵攻を行う、ヴァン・フェム」
「はっ」
「ルヴァレの後任にお前を当てる、直ちに新生七大魔城と共にロンドンに向かえ。イギリス陥落については再度の連絡を行う」
「ははっ!」
「続いてエンハウンス」
「・・・けっ、なんだ?」
「相も変わらずか」
「申し訳ありません陛下、こいつの反骨精神はもはや呆れるばかりで」
「構わん『風師』。エンハウンスお前は『風師』、『炎師』の後を継ぎ、南侵軍イタリア侵攻部隊を率いてイタリアに攻勢をかけよ。おそらく撤退を始めるであろうから、連中を一人でも多く潰せ」
「・・・了解」
「そしてネロ・カオス」
「何か?」
「お前には東侵・北侵連合軍更に南侵軍バルカン方面侵攻部隊を統合させたユーラシア東方侵攻軍の総司令に就任してもらう。更にスミレ、お前には海上遊撃軍再編後、正式に海上遊撃軍司令の任に就く事を命ずる。リタ、お前は海上遊撃軍がジブラルタルに入り次第、一軍と共に乗船し地中海諸島を攻略、その後、イタリア半島の後背から上陸しエンハウンスと共に挟撃せよ」
「承知」
「ははぁ〜」
「ははっ」
『六王権』の命に三者三様の返事を返す。
「オーテンロッゼ、貴様はジブラルタル突破後、北アフリカを東に突き進め、最終目的地はエジプトアトラス院だ」
「御意!」
「最後に『六師』」
『はっ!』
「お前達は一旦『闇千年城』に帰還せよ。その後オーテンロッゼのアトラス院攻撃に呼応してアトラス院を攻撃、巨人の穴倉を潰せ。連中が厄介な代物を出してくる前に」
『御意!』
「今回の作戦、鳥の王の奇襲とルヴァレの玉砕で目を晦ませている間に、どれだけ迅速に目標を達成出来るかにかかっている。総員迅速なる軍の再編、進軍を旨とせよ。足の遅い死者は潰しても構わん。総員の奮戦を期待する」
『ははっ!!』
「これより作戦を開始する。作戦名は『ロンギヌスの魔槍』」
ロンギヌス、イエス・キリストが十字架にかけられた時、その生死を確認する為その脇腹を槍で刺した兵士の名。
その後、イエスを刺した槍はキリスト教の聖遺物としてその名を残すが、『六王権』軍が地中海と言う柔らかい脇腹に突き立てるのは、生きとし生ける者全てに平等な筈の死からも拒絶された死者達と言う名の槍。
『蒼黒戦争』激戦期の幕は静かに開かれた。
会議が終わると各軍の動きは速かった。
『六師』は迅速な手配を持って軍の再編を執り行う。
中でも海上遊撃軍の動きはまさに疾風迅雷の如く、既に三隊に振り分け、西には乗員を丸々捕虜とした客船と警戒及びアメリカ攻撃の為の死者を乗せた軍艦が大西洋アゾレス諸島に、幸運にもノルウェー海に待機していた部隊には即座に北極海スヴァールバル諸島に軍を向けさせ、残り全軍は一路ジブラルタル海峡を目指し突き進んでいた。
「ご苦労様、編成までしてもらってごめんなさいね。スミレ」
「いいんですよぉ〜メリッサ様」
ジブラルタル海峡目指し進む海上遊撃軍艦上にて『水師』とスミレは談笑していた。
既に引き継ぎは済んでおり、すでに総指揮権はスミレに移譲していた。
最もちょくちょく臨時司令になっていたスミレにそれほど膨大な引継ぎは無かった訳だが。
「じゃあ私は『闇千年城』に帰還するけど、後の事は任せたわ」
「はいはい〜おまかせぇくださぁい」
「ふふっ、貴女と軍を率いるのも楽しかったわ。有能だし、見ていて飽きなかったし」
「それを言うなら私もメリッサ様には楽しませて頂きましたからぁ〜おあいこですよぉ〜」
特に『地師』関連についてはと、心の中で付け加える。
「そう?じゃあ任せたわ」
そう最後に言い残し、『水師』は艦から海に飛び込む。
「さてとぉ〜全軍、ジブラルタルに大至急突き進みなさぁい〜久々にリタとも会えるんだからぁ〜」
間の抜けた声でスミレは指示を飛ばす。
その頃、当のイベリア半島攻略はこれまでも順調に突き進んでいたが『ロンギヌスの魔槍』作戦発動後から更にその速度を上げていた。
既にポルトガルは陥落し、スペインも風前の灯だった。
「リタ、現状は?」
「既に最前線はスペイン最南端タリファに突入間近、いつでもジブラルタルを抜けます」
「そう、上々ね。メリッサ姉さんからも海上遊撃軍がジブラルタルに近付きつつあると報告もあるし」
「姉ちゃん!オーテンロッゼからイベリア半島完全制圧完了の報告が来たよ!」
「ただちにオーテンロッゼにジブラルタル突破を命じて!直ぐに闇の封印を広げるから・・・ルシファー!」
号令と共に幻獣王『ルシファー』が姿を現し翼を翻す度に闇が広がりを見せる。
「さてと・・・じゃあ私達の仕事はこれで終わりね。『光師』!『闇千年城』に帰還するわよ」
「うん判った!」
「じゃあリタ後は任せたわ」
「はっ、あっ!それと『闇師』様、これを『影』様に」
頷きかけたリタだったが何か思い出したように懐から蝋で封をされた書簡を手渡す。
蝋には薔薇の刻印がされていた。
「これは・・・薔薇の予言??」
死徒二十七祖第十五位リタ・ロズィーアン、その力は二十七祖の一席に数えられるに相応しい物であるが、それでも二十七祖で見ればその力は平均的と言わざるおえない。
だが、彼女には他の祖が持たない特殊な能力があった。
これはリタのと言うよりも十五位を継いだ者に現れる能力だが、予言者としての予知能力を持ち他の祖や、その眷属達に様々な予告を下す。
長き時の中、殺し合いを続けてきた二十七祖が未だ健在なのも、リタを始めとする歴代の十五位が彼らに死の予告を下し、火急的速やかに子供を作らせている為だった。
「これは・・・どういう事?」
予言の意味合いを知っている『闇師』は全身に殺意を漲らせリタに迫る。
殺気に怯えたリタがしどろもどろに説明を始める。
「こ、これは・・・『影』様直々に頼まれたのです。その・・・『影』様と『錬剣師』の戦いについて」
「兄上から?」
一先ず死の予告ではないと知り殺意を納める。
「それにしてもまた『錬剣師』?本当に忌々しい」
吐き捨てるように呟く。
もし兄が固執していなければ即座に縊り殺すものの、『影』の執着がある以上、手出しは出来ない。
兄の手をわずわらせるだけでも許せないのに、それ以上に許せないのは・・・
頭を振り思考を追い出す。
「判ったわ。これは兄上に確かに届けるわ。リタ貴女は予定通り地中海諸島の制圧を海上遊撃軍と連動する事良いわね」
「ははっ」
「行くわよ『光師』!」
「はいはい」
その言葉と共に『闇師』と『光師』はその姿をかき消した。
「急ぎなさい!!スミレが到着したら直ぐに乗り込む手筈を整えるのよ!」
そしてジブラルタルを越えたオーテンロッゼ率いる北アフリカ侵攻軍も
「よし!これよりアトラス院を目指す!生き残りの人間は後続の死者共に掃除させろ!」
怒涛の勢いで逃げ遅れた人々を飲み込み同胞と変えて、あるいは餌として蹂躙し、北アフリカを東に向けて猛進を開始する。
「ネロ・カオス、『炎師』より、バルカン方面軍、再編の報が入った。貴様は即座に全軍の指揮権を継ぎ攻撃を再開させろ」
「承知」
そして『地師』もネロ・カオスに再編されたユーラシア東方侵攻軍を引き継ぎは終わらせ、後の事を彼に任せて帰還する。
「ヴァン・フェム、魔城共は既に向かっているな」
「はっ、既に向かわせています。最悪一週間後にはドーヴァーを越えられる筈」
「宜しい。お前もドーヴァーに向かえ、奴らに反撃の暇を与えるな」
「はっ!」
『炎師』も又ヴァン・フェムに指示を下す。
そんな中、ただ一ヶ所のみ、他とは違った空気の引継ぎ場があった。
「んじゃ、エンハウンス、後はお前の好きに任せるぜ」
「ああ・・・」
とても上官に向ける視線とは思えないほど鋭く獰猛なそれを『風師』に向けるのはエンハウンス。
上司、部下の関係になって半年に近いが結局、この男の敵意と憎悪を緩められる事は無かった。
(まあ、この無尽蔵の憎悪があるからこそあれを使いこなせるんだろうな)
苦笑しながらエンハウンスに腰に帯びた新たな剣を見る。
無論ただの剣ではない。
『闇千年城』の武器庫にあったそれを『六王権』自ら下賜した本物の宝具だった。
だが、それを受け取っても感謝のかの字すら表情に出さなかったエンハウンスの憎悪の底知れなさには、ただただ呆れるしかなかった。
「一つ聞くが、徹底的にやって良いんだな?」
「ああ、陛下も教会の戦力を無傷で逃がす気は毛頭無いだろう。潰せる奴らは片っ端から潰しちまえ」
「了解」
獰猛な笑みをこの時かすかに浮かべる。
「じゃ、任せた、ああ作戦が終わったら又一杯やろうぜ」
一言添えて『風師』は姿を消した。
「・・・ちっ、あの野郎もおかしな奴だ」
常に殺意と憎悪をぶつけてくるにも拘らず飄々と受け流しあまつさえ馴れ馴れしく接してくる。
腹が立つ事この上ないが、『風師』の下で働いていたからこそ、自分の力を最大限発揮できたのも又事実だった。
「一番おかしいのはそれに慣れちまった俺か・・・くそっ!」
苛立たしげに呟くと、視線をイタリアに向ける。
「・・・手前ら!遠慮も容赦も無しだ!殺せ!潰せ!蹂躙しろ!」
怨嗟に満ちた声と共に『六王権』軍イタリア攻略軍が突進を開始する。
作戦発動より三日、遂に『六王権』軍は全軍の再編を終わらせ、魔兵の槍はその本性を露とする。
後に『第三次倫敦攻防戦』そして『アトラス院攻防戦』、『イスタンブール防衛戦』と並ぶ『蒼黒戦争』最大の激戦に数えられ、勝敗を分けた分岐点の一つと言われる、『イタリア撤退戦』がここに始まった。